10,12,09 15years クラインの壺
……
私が彼を呼んだ。
彼はゆっくりと振り返って、ゆっくりと近づいて、いつもみたいに笑って。廊下の奥の方を見て、何かを言ってて。
離したくなかった。
手を掴んだ。
そしたらあなたは驚いた顔をして、私の手を見て、顔を見て、眉を顰めて、また、へにゃ、とした顔をした。
太陽が床に反射して一瞬目が眩んだ。
「んなにしなくても…にげないから。」
彼がそんなことを言うので、ゆっくり緩めて手を繋ぎ直した。指を絡めて、離さないように。
逃げないから。逃げないから。逃げないから。
ゆっくりその言葉を繰り返した。
「本当に?」
「……なんだよ、言っといた、し。大丈夫だって。」
声の震え。……手も少し動いたでしょう。でも先に時間を取ったらしいし、分からない。判定材料不足。大丈夫、だいじょうぶ。
それでも、あなたの揺らぎを見ようと思って目を見つめて、
そしたら、なんだかそらされてしまった。
「……オーロラ。」
なんだかすこし困っている声だ。何に?特に困ることなんて何もないじゃない。ってことは何かあるの。
……まぁ。でもここではいえないのかもしれない。だって、他にも人がいるし、テレプシコラはそこまで強く言わないものね。
「……いきましょ」
いつもみたいに手を引いたら、瞳は弓の形に少し隠れて、丸だか四角だか分からなくなった。
いつもみたいに2人で天蓋を張って、2人で並んで座るつもりだった。なのに、彼はなぜか今日はどこか上の空だった。
窓の外を見てはぼんやりとしている彼。
「ねぇ」
私が声をかけてようやくこちらを向く。
「……なぁ、に、…オーロラ」
ゆっくり口にしたその言葉がどこかひっかかるほど遅くて、その間に目を逸らしたのも、なんだか怪しくて。
「何か隠してるの?」
「…いや……」
取ろうとした彼の手が後ろに下がった。
「……何。」
「その………」
言葉が切れた。目線が逸れた。瞳が揺らいだ。嘘ついて。何か隠してるなんてその姿を見ればわかる。まるで見たくないもの見てるみたいな顔をして。私が悪いって言うのかしら。
「……そんなに私の事嫌なの?」
「違う」
それにはすぐに答えるのね。
「じゃあ何なの。何を隠してるの。」
「……なんでも、ない」
「嘘。」
ここまでいっても伝えようともしないのね。
何が嫌なのかも伝わらなければずっと下を向いたりそっぽ向いたりして。何よその顔は。こっちの手も避けようとしたくせに。どういうことよ。動かないし。幸せそうでもないし。何があったの。どうすればいいの。
「……。」
そうやって黙りこんでるのは私に対して嫌なことしか思い浮かべていないからなの?
どうしてそんな目をして私を見るの?
どうしてそんな顔をするの?
「……ここに来て。」
かれのほうをみる。
こない。
こないなんておかしい。
来るはずだ。
来ないと辻褄が合わないのだから。
「…来い」
かれが……誰かが動いてるのを見ている。
急に目が暗がっているのを見ている。すっと来たことを見ている。
わたしは、みてるだけ。
誰かが来たからその人を隣におく
隣に置かれたその人に対して
「いつもどおり」の行動をする
わたしでない人
一個一個の挙動が脳で上書きされていく感覚
誰かはだれかに対してまずほおを撫でる
ほおを撫でたときだれかはその手を上から重ねるのでだれかはキスをする
だれでもないひと
だれかはそれをなぜかつづけようとするのでだれかは受け入れるしかなくて
だれかはわたしの名を呼ぶけどそれはわたしじゃなくて
それがゆるせなくてだれかはだれかの手で
かおにふれて
ふれたあとにゆっくりそれをしたにうごかして
だれかはそれであきらめて天井をみて
ほくそ笑んで
ては両方そえられてわたしはそれにこたえなければならなくて
そんなの
そんなのゆるせない
ゆるさない
わたしは、わたしはそんなこじゃない
わたしをみてくれてない
だれかはまただれかさんのなまえをよんで
いたい。
たたいた?
たたいたらおしおきしないとって誰かがいってる。
ちからをこめる。
わたしは、わたしは、わたしは、
「……はぁっ」
かれの心臓の音が聞こえる。
触れてる。合わさってテンポが動きが、うごいて、おおげさに、
瞳がきらきらしてる。わ、わ、わたしが、わたしの手のて、てのな、なか
純粋無垢で穢れのない私を殺す化け物が、化け物が、化け物がいる、私を殺そうとする、わたしを、死んでいる私に命を吹き込んで、苦しくするんだ、その、その心が、私をまたぐちゃぐちゃにするんだ、ゆ、許さない、ゆるさない、ゆる、さ、ない。
許さない、貴方が殺したの、貴方が私を殺したの、まだ言うこと聞かないの、これは貴方が悪いのよ、貴方が私を殺したの。貴方が、貴方が あなたがそんなにきれいなのがわるいの。あなたがそんなにきたないのがわるいの。ころされようとしてるあなたがわるいの。あなたが、あなたが、あなたが、
ひゅーっと、気管支が音を立てた。
貴方と目があった。
あなたが、
わらっ、
た?
?
てれぷしこら。
ぱっ。と、はなした。はなして、
私は何を?
わ、わかんない。
わかんない、なにしてるの?
わたしは何をしているの?
てがいたい。ゆびがふるえて、る?ぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、して、
血の匂いがした気がした。息の音がする。くるしい、くるしいけど、ど、どうしよう。どうして?なんで?
息を吸っても何も入ってこない。吐けども内臓も恨み節さえも揮発しない。
うごかない。うごかない。うごかない。うごかない。うごかない。
カーテンが揺れてる。蝋燭がなぞる。ほしがちらつく。街の音が細胞を混ぜ合わせる。くちがしょっぱい。目を揺らす。勝手に揺れた。テレプシコラがゆっくり起き上がっていた。隣、に来て、横に倒れて、背中がくっついた。肩に崩れた手を、彼が握った。見れなかった。彼はそのまんま背中をくっつけたまんま横向きに丸まった。手は巻き込まれて彼のものになっていた。
世界が揺れて歪んでいる。
口が動かなくて何も言えなくて、でも多分あなたは何も言わないんだろう。また曖昧な顔をして私を見て、綿菓子みたいに笑うから。
もう、どうしたらいいのかもわかんなくて。
……どうしろって、言うんだろう。
安物で無愛想なシーツの上で寝っ転がる彼は骨張ってみえた。
また一歩、君は化け物に近づいて行っちゃうんだ。
それが嫌で、身体の線をもう片方の手でなぞる。上に戻って、また、さすって、確かめる。
手のひらの中に脈動を感じた。目があった。白とも灰色とも言えない髪が艶めいた。
見つめると切なくなるのは、夕方がその中に詰まってるからだ。
「……」
言葉を交わさないまま、顔を見たまま、彼はわたしの手を握る。
握り返したら、彼はまた曖昧に眉を緩めた。ふぅー、と息を吐く音がする。首のところが赤くなってる。なのに、なのにそれをそのまんまにして、隠そうともしなくて、わからなくて。
「……てれぷしこら」
「……」
彼が繋いだ手の真意がわからなかった。
目を逸らした。
カーテンが揺れている。西日が眩しい。これは全部白昼夢で、あなたもいなくて、私は死にかけているだけなんじゃないかと思った。
「……ねぇ」
「……。」
返事がないのが怖い。全部無くなるのが怖い。こわい。だったら初めから無くしてしまいたい。拒絶してほしい。ぶち壊してほしい。
「……」
きっとおかしい。全部おかしい。だからもういい。全部おかしいって言って。でもそんなのいやなの。わからない。わからない。こわいの。でも1人になんかなりたくないの。
そういうこと、でしょう。
「………」
彼の手から、力がゆっくりと抜けた。
その手がゆっくりと、彼の首の方によった。
ゆっくり、触って確かめているように見えた。
彼の身体はまた、骨ばって尖っている。
ゆっくりと、口を開いて。彼は、また、表情を変えずにゆらりと、煙のように言葉を吐いた。
「…すきだよ」
嘘をついていることくらい、もう分かりきっているのに、まだ続けるっていうのね。なのに、そんなに優しい声なの。
どうしてよ。
どうしてわざと離せないようにするの。