21,06,11 Day9-1 執行猶予
………今日も、例の部屋だった。
珍しく、……べつの。いつも嫌なことを思い出すものの部屋には、何もなくて。少し、拍子抜けしたり、して。
……また、いつもの、この、ところまで、来て。
……。
昨日のことは、レーテにばれなかった。
大急ぎで手当てして、隠せたからか。レーテも、疲れていたからかは、分からないけど。
……レーテは、いつも通り、……よくわかんなくて、ただ、言葉がたどたどしくて笑って、……えっと。
きちんと、私が言ったように、口調を変えていてくれて。
……。
なんだか、心がざわざわする。
まあいい。どうせ、ここから元に戻るんだし。忘れられる、はず。
そう祈って、ドアを開けた。
昨日の今日では、なんとなく演技もうまくいかない。
半分くらい、私にもどってしまったその声で、身体で、
それでも抑えきれない何かが、私の顔をゆがませる。
「……こんばんは。今日も、よろしくお願いしますね。……ふふふ。」
やっぱり、上手く笑えてなかったのか、それとも、お気に召さなかったのか。
勢いよく引き裂いてくるその、血の色は、足に当たって。
見てる間もなく、三本になった。
……声なんか上げなかった。口はしっかり噛んでいた。
私はそれを目に焼き付けていた。
息だけは、勝手に荒くなって、一瞬倒れそうになったのを、持ちこたえて。
「……ご、ようも、……とくに、ない、ですか。」
なんて。
誰かに、すがるように、姿勢を低くして。
……ゆっくりと、見た。
……なにも、言われなかった。……どころか、角度のせいか、
昨日より、どこか、憂いを帯びているように、見え、無くもなかった。
……。
貴方にまで、そんな顔を、されたら。
「……ふふ、くすくす……」
困っちゃうのよ。
笑っても何もしてこないし。
……なんでよ。なんで。
「……ねぇ」
私から声をかける。演技のない私の、どうしようもない声だ。
「そうね、ふふ、……なんていうか」
話の内容を思い出す。貴方のお話を思い出す。
それは、私にとっての否定文、私の知らないものの話だった。
そして、みんなが、知っているものの話、みたいだった。
それなら、
「……わたし、より。貴方のほうが、こっちに来ればいいと思うの。」
なんにもなかった。
できるなら、それでいいじゃないかと思っただけだった。
そのほうが、きっとうまくいったと思ったの。
「だって、そんなに人生について言うってことは、貴方には。
何かわかってるんでしょう。」
そこまで大事にしなきゃいけなかったものとか。
そこまで考えたこととか。
ほしかったものとか。
……そういうものは、欲しがる貴方に贈られるものだったと、思うし。
貴方だったら、
「……わたしは」
貴方だったら、もっと大切に出来たと思うんだ。
「自分のこと、生き返っちゃだめだと思うの。……そんなこと、許されないと思うの。……分かるかしら。」
言葉にしたときに思い出す罵倒や何かの声。
頭の中によぎる、誰かの肌の感触。
息の音。……それと、私の心臓の音。
「貴方を見てると、死んだときのいろいろ……とか…そう…………いろんなこと、思い出すの。……私は、」
……誰かが息を吐く音。誰かが私を見る目。誰かの、そう、誰かのやんわりとした、優しい、でも、苦しいような、誤ってる言葉、揺れるカーテン、猫の声、いたみ、黄色い瞳、白いもや、私が私でないような感覚。
それと、押し寄せるような、まっくらやみ。
「私は、間違えたの。」
非難の声、ころしてやる、ころしてやると、ずっと頭の中で響いてくる声。お前のせいだと、すべてを壊されるのを、じっと見ている時の、空白。
「私の所為だったのよ。……だから、全部報いなの」
ここにいることも、この痛みも、今までのこと、すべてが、私が何かをしてしまったからで、だから、
頭を、壊さなきゃいけなくて。おかしい、こんな脳みそを、すべてかき回さないといけなくて。壁に頭をぶつけて、でも、上手くいかない、から。薬をかきこんで、その時、目に入ったのが、丁度いい、
戦闘用にしても、切れない、丈夫なリボンで。
「思いつくのは同じなのかしら。一番簡単で、すぐ作れて、一番頭をぐちゃぐちゃにできるもの。」
そういった時に、貴方は。
しっかりと、私に、赤い目を、向けてくれて。
……何故か、私は目が厚くなったけど、笑って、ごまかして。
「……ふふ。ええ。全部私への罰なの。」
あなたの、荊が。私の、そばに、するすると、よって。
少し、触れて。
痛くて。
「……それでいいの。」
そういって目を閉じる。
体を突き破って、化け物が生まれる気配がして、
あなたの声がして、
「もういい。」
「もういいの。」
ここにいるのは、罪びとを殺すあなたと、罪を犯した私で。
いま、目を開けたらいるのはきっと、私の皮をかぶった化け物で。
その口が、動く。
「わたしが、かれを、ころしたの。……言い訳も何もないわ。はやく、やって」
そしたら、
あなたは、きちんとこたえてくれて。
「そんなに死にたいなら」
私のなかのすべてを、貫いてくれて。
苦しいはずのそれは、何もないかのように感じられて
「望みどおりに」
きっと、………これが。
これ、が……わた、しの、…………わた、し、の。
………………でも、
かれって、だれ……だっけ。
……。
あなたが通り過ぎるのを見ていた。
つるされた体は部屋の中に。
白いカーテンが揺れていた。
吐き気はするものの吐いても意味がない。
ゆっくりと感覚だけ沈んでいく。
自分の呼吸の音が大きく響く。
目元から見てていた景色がゆがんで、
光のつぶや色の粒になって、線が溶けていく。
私が垂れていく。
食い込んでいるであろう血管も骨もすべてが私ではなくなっていく。
誰かの声が聞こえる。
白い、何かが見える。
ゆらめく、そして、
なにかあたった、
ふわっと、
落ちる!?
大きな音がして床に転がった。急に全部の力が抜けて、空気が入ってきて。それが逆に水の中みたく息苦しくて。せき込んで、ゆっくりと前を見て、支えられて。
そこには、
レーテが、いた。
「……痛いでしょう、それは。」
そういって彼女は私と同じ目線に来る。
白と黒の目の中は、いつもよりも深くて、きらめいていた。
………上手く笑えない。
「……はぁ。
あなたなの……なぁに。
……もともと…こうだし。………。」
……思いつく、ことを。並べて、言うしかなくて。
「はい、私です。もともと……とは。いつも痛いのですか?」
「……初めて死んだときと一緒ってことよ。……こうとしか言えないのだけど、なんか嫌ね。……だから、平気。……」
そうやって言葉を付け足して、………冗談を、混ぜて。
…………痛い、のを。ごまかして。
そうして、あなたの顔を見ても、貴方は、
まだ、悲しそうに、していて。
「……なるほど。ですが。その。
私が嫌だと思ったので。友人があのように死ぬ、のは。」
「…………。」
嫌、って?………なんで?
…………じゃ、なくて。
だから、知らないんだから、とか、……えと。
………そうじゃなくて。
貴方に悲しんでほしいんじゃなくて。
……。
「まぁ、……そうね。否定はしないわ。」
なんて、下手な言い訳みたいな言い方をして。
逃げようかと思ったのに。
あなたは、その部屋に、今私が「働き」に言った場所に入っていって、
「……え。」
不気味な沈黙が流れて、また、あの荊の音がして。
「ちょっと。」
空いた扉の隙間から、さっきの、彼が。
あなたを、同じように殺そうとしているのが見えた。
どうして?
走った。何か条件があったことなんて忘れていた。私はそれを振るった。一発目は同じような荊にぶつかった。長い髪がその中でも目立っていた。白い髪に少しの赤が飛んでいて、それが何よりも痛くて。
だって、だってあなたは何もしていないじゃない!
「…………っ!」
構える。これでも最低限は学んだ。私だって少しくらい出来る。
前を向く。頸動脈を、引き裂くように、狙って、
足を、放った。
ポワント。
パシッ。
音がして枯れて。
貴方が床にぶつけないように手を出して。
トン。
おさえて。
あなたは、直に落ちるよりも軽い音を立てて、
ゆっくり、落ちた。
…………。
しゅるしゅると、音を立てて。それは、消えた。
…………真っ赤には、なっていない。あざも軽傷で済むだろう。
変な向きには、曲がっていない。捻り直す必要もない。
……のこって、ない。
…………全部、ちゃんと、白黒。
きれいな、れーての、まんま。
……はぁ。
力が抜けて、私も近くにしゃがみこんだ。
目覚めた貴方はいつも通り、キョトンとした顔で、私の傍にいて。
なんだかそれがまた、頭痛くて。
「……勘弁して。」
ついまた、トゥーシューズの先を蹴った。
あなたはうつむいて、小さな子供みたいに謝る。
「………すみません。」
ただ、……許せなくて。
「……いい?
『慣れてる』から、痛くないのであって。あんたがやったら違うのよ。間違えないで。」
あなたには、もう二度と、こんなことしてほしくなくて。顔を隠して。
それなのに、また、レーテは。
「はい、分かりました。……慣れ。
……その、助けてくださってありがとうございます。今後は気を付けます。」
なんて、優しく言うから。
……わたしは。
わた、しは…………。
「…………無事で、よかった。」
手を握る。いつも通り、少し大きくて、暖かい手だった。
…………苦しい。
いきが、くるしい。
「……あとで手当てしましょ。」
そういって、堪えられなくて駆け出す。
…………離れても、まだ手は暖かかった。